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あれから のこと

Mar 28

2011

美しい天使がやってきて
収穫期のぼくを手助けし
引き換えに葡萄酒の半分を飲んだ
けれど、アンジュー街の葡萄酒は
頬を燃えさせ
二十の半分の番地が、
僕の穀倉であることを示す
二十歳で、天使は出発し
アンジューなまりを嘆く
首都の草の上で
天恵をさずかった老人は
天の鳥たちに餌をやるという
不吉な習慣があった


ジャン・コクトー詩集 『ぼくの天使』にのなかの一節で
レイモン・ラディゲに送られた詩のようです。
コクトーさんは若き天才ラディゲを溺愛していたのだけれど
彼は二十歳で死んでしまう。

その亡き彼を偲んでうたったようですが、

さきの大震災で同じような思いをしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

とくに高齢者社会ですから、若い子に先だたれたという悲しい話も聞きます。

お辛いことですが、
その子は天使になったのだと、思うことはできないでしょうか?

ぼくは、君たちが思いも及ばないところで苦痛を感じる
ぼくは、何もぼくの悲しみをやわらげてくれないので
苦痛を感じる
<君たちはもっと低い声で喋らねばならぬ>
<君たちは、旅をしなけらばならぬ>

ぼくは、君たちと再び一緒になる必要があるのだ、友よ
愛という、この世のものとは思えない装置のなかで
死は、君たちをどこに入れたのだろうか?
死はどうして、ぼくが留まることを望んでいるのだろうか?



津波にのまれていった方々も悔やまれますが、
最愛の者を失われた方、残された方はもっとお辛いことでしょう。
それはもうこの世のものとは思えないほどの。

さらに「ぼくが生まれたメゾン・ラフィット」の中の一節

吹き矢に使う軽い庭常
アイリスとリラの庭園
そして、ぼくらの初めての自転車に乗った
疲れを知らないぼくの若々しい四肢。


多くの人が少年少女時代の不可侵な花々しい記憶というのを持ち合わせているでしょう。

コクトーさんはラディゲの死の苦痛から逃れるために、阿片を求め中毒患者になりました。
阿片のみが自分を救ってくれるとまで感じました。
しかしこの詩を書いたときは、治療を受けた後で、ほとんど阿片が抜けた後のようです。
自分の記憶を辿っているのか、追憶なのか、改ざんなのか、
その神聖化された楽園にこそ、天使は住まうのでしょうか。

「死後」というタイトルの詩に、こう続きます。


ぼくは、愛を、眠りを、栄光を夢見ていた
青春が、狂おしいまでに思い描くものを
そして、この炎がぼくの記憶の中で再び燃え上がるのに
ぼくが行こうとしていうのは、
ぼくが知らないどこかだ



とても悲しい詩なのですが、この最後の一節で
なぜだか「やらねばならぬ」という気になってきます。
どこまでもふさぎ込みたくなる、苦しい時ですが
炎を、僕の記憶の中で再び燃え上がらせなければ、なのでしょうか。


ぼくはどこかわからないところに行こうとしている。
死は、じっと待っているからだ。
あんなにも美しい顔立ちの防腐処理をする女が
自分の墓石を準備し、傾斜を早く滑り落ちる
ぼくの姿をじっと見ている。
1962年3月8日



親愛なるものの死は、あんなに忽然と、猛威に奪われていったのに、
自分の死は、ただただじっと待って襲いかかってこようともしない。

化粧を塗りたくった美人さん(肌が死なないような延命処理をする若い女性)が、
自分の買った墓石の様子を見にきて、坂をくだって帰るコクトーさん(死へと次第に向かって歩く老人)の背中をじっと見ている。

という趣旨のことだと解釈しますが、
ちょっとピリリと山椒のきいた話のしめ方ですね。
公演の延期を決めて、ふさぎこんでいた僕に、
なぜだかすっと
この詩が入ってきました。

「言葉には力がある、言語の世界というのはやっぱりあるよ。」

むかし寺山修司さんの弟さん、森崎偏陸さんがつぶやいてくれたことがあります。

津波の脅威そのものに対しては、
言葉や演劇なんてものは無力なのかもしれません。
しかし、その脅威を受けるのが人間であるのならば、
人間は心をもつ生き物です、
直接そこに作用しうるものは
言葉や演劇であると信じたい。

われわれにだって戦うことはできる。
しかし、今回は延期です。
いろいろとかんがみての、苦渋の決断でした。

テレビで、今回の津波のみならず、チリの地震の津波にも被災したおじいさんが救助されていたのですが、孤立状態から三日目の救助に対して笑顔でこう応えておりました。

「大丈夫です。また再建しましょう。」

さらに、津波研究の大家であるおじいさんは、津波が押し寄せる病院の中から津波を観察し、カーテンにつかまり一命を取り留めたらしいですが、

救助されベッドに横たわるおじいさんがいうには、

「まだまだ津波に対する改善点はある。」だそうである。

なんという研究者魂。内に炎を燃やしている方って、たとえ非人道的だといわれようとも
若く見えるもので、そのおじいさまも実年齢を信じられませんでした。
じいさんでもそんな活力があるのに、
ちょっと延期になったくらいで、不貞腐れてる場合じゃないです。

楽しみにされていた方、観劇予定を組まれていた方、関係者方々、スタッフ方々、出演者方々、そのほか少しでもこの公演に関わっていただいた方々、興味をもってくださった方々、
本当に申し訳なく思っています。

ごめんなさい。

ですが、再建します。

それまで、どうか、お見守りください。

平木大士

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