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雨のこと

Jan 22

2012

雨があまりに降るものだから

ひとり家にいるのもさびしくて孤独をのろっていたらふと
八代亜紀の歌の文句を思い出した。
『あめあめふれふれもっとふれ わたしのいいひと連れてって』

しかし記憶があいまいだったので、よく調べてみたら
『わたしのいいひと連れてこい』
が正しかった。

ぼくは雨の中にきえてゆく男の孤独な背中を思い描がいて、男が女のもとを去ったのは雨がはげしくふったせいだと、すべてを天のせいにしようとしていたが、
雨の降るために男は寒さと孤独を感じて女のもとへやってくるようにと、天に祈っている歌だったようだ。

サビに続く部分はこうだった。

『心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えている
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてた
にくい 恋しい にくい 恋しい
めぐりめぐって いまは恋しい』

長く付き合っていたのか、長いあいだ愛人関係だったのかさだかではありませんが、
けんか別れしてしまったあんちくしょうを身体が覚えていて、どしても恋しくなってしまい、雨に紛れてひょっこりとまた現れてはくれないだろうかという歌詞なのか。
もしくは偶然つよまった雨脚に、帰宅途中の男はふとこの女のことを思い出して家へ雨宿りにでもと。

天啓をもみかたにつけたい女の切願というか、引きの強さ。
ちょっと思いだしただけなのに、その思いにつかれると、願いが叶うまでは悪鬼のように挑んでしまう女のおそろしさ。

それにくらべて、ぼくのただただ天を恨むというか、自分の孤独を天のせいにするという考えは男性的な女々しさ繊細さのようなきがする。
よくはしらないが、むかしは思想につかれて『太陽のせいだ!』と叫んだ男がいたらしいが、わからなくもない。

ちなみにこの『雨の慕情』の二番の歌詞はそこまで面白くない。
あき皿でテーブルを埋めるとか、くもり空ならいつも逢いたいとか、女の自己演出がはじまるからである。そんな田舎臭い女は時代に埋葬してしまえばいい。
せめて物語のなかの女くらい、生きるか死ぬかはっきりさせてあげたい。
二番の女は男の都合のいいようにつくられた妄想の産物である。
反対に一番の女は男の理想なのかもしれない……。

だがそれも、空が晴れればそれまでである。

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