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魔法のこと

Mar 4

2012

「魔法」というのは、現在でも脈々と受け継がれているらしい。

それは日本にもいまだ忍者がいるのと同じく、
そして大抵の日本の忍者が海外で広く誤解されているのと同じく、
存在しているようだ。

第二次世界大戦後のイギリスを代表する魔法使い、W・E・バトラーの手によって書かれた
『魔法修行』という本を面白く読んだ。

この方、亡くなったのも1977年というから、そう昔のことでもない。
この時代に「魔法」という言葉はなんともファンタジーに聞こえるかもしれないが、
「スピリチュアル」といえば、まだ多少納得する方はいるかもしれない。
魔法にはそうした魂や精神哲学の部分が大きいらしい。

さて、この「魔法修行」という本は、
先生である筆者が、徒弟である青年に魔法の初歩を手紙のやり取りで教えていくという調子で書かれている。いわば魔法の通信教育である。

演劇界でいう、あのスタニスラフスキーの「俳優修業」とまったく一緒の調子だ。
しかし、その手ほどきはスタニスラフスキーのものよりもぼくにはわかりやすかった。

全十五章からなるのですが、
まずは、魔法についての誤解を解くところからはじまります。
ここは奇蹟をおしえるところではなく、スピリチュアルの世界を知り、それにむかって単調で苦しい修行を重ねていくだけだと、まるで坊主の修行のようなものだと筆者は語ります。

つづいて魔法を学ぶことについて家庭環境を整えるようにいいます。家族や友人の理解を得ることは必須なのだそう。それは「瞑想」をはじめると、やはり対外的に影響がでるからだそう。

そこで今度は瞑想です。魔法修行はほとんどこの「瞑想」に尽きるそうです。
もちろん瞑想にもさまざまなパターンがあります。逆向き瞑想といって、今日一日の起こった出来事を逆にだどってみたり、
出されたお題についての考察をしたりします。

なぜ瞑想をするかというと、読み進めていくうちに分かりますが、
まずは自分の内なる世界を整理してゆくのに役立ちます。
そこで整理整頓や分類法として利用される「生命の木」についても触れるのですが、
これはこの話だけでまた後日ここに書こうかと思っています。
その「生命の木」によりさらに自分の内なる世界を知ることができると、

今度は観察です。
身の回りの人や物を細部にわたり、観察すること。
たとえば家を出て目の前の風景。何色の建物がたっているか。窓はどこにいくつあるか。どんな花がどこに咲いているか。
電車に乗り合わせた人々はどんな服を着ているか、どんな顔をしているか。
などなど、思い返してみてもすぐには出てこないはずです。
これを一つ一つ集めて、現実をハッキリ認識すること。

そうして観察により、細部にまでわたって認識できるようになれば、今度はそれを意識化で復元する。目を閉じて、自分の内なる世界に「投写」をするというのです。
たとえば、一枚の絵をよく観察して、認識し、目を閉じてまぶたの裏に復元するような要領です。
そうして訓練をつめば、その投写は現実世界にもできるようになるといいます。
たとえば、水晶の中にその像を結ぶだとか、黒い紙の上に像を復元するだとか。

そこまでくればたいしたもので、ある程度意識のコントロールが効いている状態なので、今度は「生命の木」による「ケテル(王冠)」と「マルクト(王国)」の認識と投射です。

頭上十センチほどの高さにあるという、宇宙のエネルギーを取り込む球(円)のケテルと
足の下十センチほどにあるという大地のエネルギーへと流れていく球(円)のマルクト。
その純白に輝くケテルと、レモン・オリーブ・あずき・黒の四色に光るマルクトを意識化で認識し、投射させる。すると、宇宙からのエネルギーを取り込むことができるとのこと。

さらに自分の目の前にオレンジ色の光の球体を投射して、そこに自分の意識を写して、半ば幽体離脱のように、自分の肉体を外から眺めることができるようになる、だとか、

さまざまな意識の使い方や、感覚の研ぎ澄まし方が、
一歩一歩順を追って書いてあります。
もちろん、日々の修行がなければこんな神業を体得することはできませんので、ぼくには実感がありませんが、
そこまでして、「観察」→「認識」→「投射」の能力を鍛えてゆけば、
なにかが起こりそうな気はします。確実に、ものを見る目は変わってくるでしょう。

ものをみる目がかわれば、おのずと世界はかわってきます。

さらに自分の意識を思いのままに、現実に反映することができれば、
それは強靭な意識のなせる業です。

魔法に興味を持ってはいますが、日々の意識の修行をおこなえるほど真面目でもないので早々にあきらめてはいますが、
その魔法の考え方や、意識の持って行きかたはとても理にかなっているし、極めるに足る分野だとも思います。

源流はカバラの秘術だともいいますし、カバラといえば
キリスト教やユダヤ教などのもととなった教えですので、宗教の匂いがしないでもないですが、確実に違うのは、魔法には神がいないことです。

魔法を学ぶものはみなこう誓うのだそうです、
「わたしは、奉仕するために知りたい。」

魂は光なのだそうで、幾重もの厳密なヒエラルキーとなった光に、奉仕をしていくのだそう。
いってしまえば、この地球だって大きな一つの生命(魂)であって、星のひとつひとつ、銀河のひとつひとつにも霊はあるのだから。
ぼくらの魂(エーテル)はまだまだ人間ですが、ゆくゆくはそうしたおおいなるものの光を目指さなければならないわけなのですが、
それはまた別のお話で、いまは魔法のこと。

しかし、魔法にとらわれず、意識を変えれば世界が変わるというのは、
世のライフハック本だとか、ビジネス成功ブックだとかにも必ず載っているもので、
ようはみなさん、すでに実行されているのであとはやり方とは、発見とか、
そういったものなだけだっりもするものね。

そうした生活の再発見本として読んでみてもかなり面白く読
めると思います。
とくに「生命の木」は、日常生活を送る上でも、かなりの指針になることかと思いました。

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