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知るのこと

May 11

2012

世の中じゃ、知らないことだけが価値があって、

知ってしまったものの一切は、もはやどうしようもないのだそうだ。

無知であったときに感じる、知への探求心や好奇心を燃やしている状態は、
太く溌剌としたバネをもっていて、ある一定方向へとはじけ飛ぼうとする。
そのエネルギーの放出こそが、「今」の発露であって、肉体を伴った言語だといってもいいかもしれない。

だから、その「今」の言葉をそのまま書きとめるとか、発見のその瞬間を、まるで写真をとるかのように見事に紙の上に収めることができたならば、それが息衝くということなのではないだろうか。

もちろん「書く」ということだけにかぎられたことではない。

つまりは、つねに知らないことを見つけられるかというただそれだけのこと。
好奇心をもてるか、わくわくできるか。
迷ったら「わくわくする方を選べ」というのは、ある方の口から飛び出した名言(座右の銘)なのだが、これが言い得て妙なのである。

では、知ってしまったものというのはどう定義付けるのか?
ぼくとしては、こちらは無時間ということで片がつく。
もはやすでに変わりようのないものとなってしまったからには、それはもはや無価値なのである。
おそらく、不老不死などという無時間を手に入れたところでも、同じようなむなしさを感じるのだろう。男のえがくユートピアなんてものは御都合主義のパノラマ島で、箱庭が限度である。小国の王はいずれ壊死する。
人間が生まれた瞬間から酸化をしてゆき、老いるということも酸化の一種であるならば、
火が酸素を食らい燃え上がるというからには、ぼくらの情熱も腹いっぱいに酸素を吸って燃え上がらせなければならない。
情熱を燃やすためにいきるのならば、やはり今、精一杯に呼吸をすべきなのだ。

だれにでもできるかんたんなこと。背筋を伸ばしておおきく息をする。
それだけのことで何かが変わるというのだから素晴らしい世の中ですよ。
やらない手はない。

息をする、
すると途端に玄関のベルが鳴り、友人が訪ねてくるかもしれない。
息をする、それだけで鳥が鳴いたり、ペンが踊ったり、携帯が呼んだりする。
それが変化であって、ぼくの知らないことのひとつでもある。

時間を固定するには、まだはやい。
ブレてうごいて、燃やして、酸化して黒ずんでいくんだ。そしてやがて死ぬ。

火は人間の有史以来もっていたのだから。
なにも松明だけが火じゃない。
証拠に、どんなに暗くしてもあなたのまわりだけは光ってみえる。

さて、なにを知ろうか。どんな発見も、まず近づくところからはじまる。
ひとつひとつと、砂粒と、ゆっくり面とむかう。触れ合って、そして境界面ではじけ飛ぶ。
ガラスでも爆薬でもいい、なにかしらの擦過傷をおこせば、なおいい!!

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