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フリークスのこと

Jan 26

2012

『ウソではない。ここにいるのは、まさに生身の怪物だ。

 その姿に笑い、身震いするでしょうが、
 一つ間違えばあなたもそうなるところでした。』
呼び込みの声に客も興がのって、幕の中にはいると、
そこには世にも珍しい醜悪な女が横たわっており、人々は悲鳴をあげる。

映画「フリークス」はこのようなシーンからはじまります。
障害や奇形をもって生まれた化け物(フリークス)がたくさん出演するという
アングラではいわずとしれたメジャーな作品。

意外にもフリークスの記録映像ではなく、劇映画仕立て。

舞台は見世物小屋の一座。
侏儒が空中ブランコの美女に恋をするも、女のほうは侏儒の財産にしか興味がなく、
結婚してすぐ殺してしまおうとするのだけれど、逆に返り討ちにあってしまう。
というのが主な筋。なのだけれど……

さきの口上の続きにもあるように
『一人への侮辱は みんなへの侮辱』
というほどフリークスはフリークスの結束の強いコミュニティをもっていまして。

結婚式の席でフリークスたちは女をかれらのコミュニティーへ迎え入れようとします。
「彼女も俺たちの仲間だ。」
そういって大きな盃に酒をそそぎ、フリークスたちで回し飲みした後、
女のもとへ運ばれます。
酒を飲めば仲間とみなされ、ゆくゆくは財産が手に入る。
しかし女はここで我慢がならず、盃をひっくりかえしてしまいます。
「冗談じゃないわ。あなたたちの仲間なんてまっぴら。」
ここで女は財産の誘惑よりも、プライドが勝るわけです。

その後も女は、侏儒の酒に毎日毒薬をまぜてなんとか殺そうとします。
だが結婚式の一件以来、フリークス仲間は目をひからせて女を監視しています。
いたるところからフリークスたちがみています。窓の外、キャビンの下、階段の隙間。

ついにフリークスたちは手に手にナイフや銃などの凶器をもって、泥の上をはいつくばりながら女につめよる。
その彼らの女をみつめる狂気の目。その姿、その狂気。
フリークスの恐ろしさ、異端さ、奇形の特権がうまい具合に描かれている気がしました。

そういえば何かの本で侏儒は気性が荒いと言われていたと書いてあった。
ジャンコクトー作の「悲恋」でも、口笛を吹く青年ジャン・マレーを撃ち抜く死の一撃を放ったのも侏儒でした。

侏儒がナイフを拭く、黒光りする銃を拭く、
泥の中を一歩一歩イモムシが這ってくる。鳥女が闇に紛れてあゆみよる。

絵の力強さは、奇形には奇形の特権があるということを理解していないと描けないような気がしました。
平凡な説教「みんな仲良く、障害者でも平等に」なんていうものではなく、
なにか刺激的な緊張感がありました。

ただ、わかりやすく「奇形ではあるが心は純情、正常な人間ではあるがハートは醜い化け物」といったストーリーは、ああ、これもストーリーでしかない。

と同時に白人の選民意識やら劣等感やらも浮かんでくるので、
詰め寄ったかれらフリークスが一矢報いた日本兵にも見えてきたり。

登場しているフリークスたちも、みなそれぞれ見世物小屋で実際に働いていたひとたちも多く、唇だけで器用に煙草の火をつけるイモムシ人間の芸や、机の上ではねまわる鳥女の芸なんかとても見物です。

ちなみに、追いつめられたあわれな女は、
その後フリークスたちになにをされたのかわかりませんが、
彼女自身が奇形のフリークスとなりはて、
冒頭の見世物小屋で見世物となっていました。

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