blog

軽さと重さのこと

Feb 20

2012

歴史はみんなウソ、あしたくる鬼だけがホント!

とはいいますが
ここ数年でいちばんの大きな変化というのが、この「ウソ」についてなのです。

「ぼくらのやっていることは、どうやったってウソなんだよ。だからそのウソをどうゆうふうについていくかだね。」
といわれたのは、もう5年も前になりますが、そのときはどうしてもその言葉を受け入れられませんでした。
『いいや、ぼくらのやっていることは、現実以上に真実であるべきだ。』
とか思いめぐらせていました。
それが今では、
『ウソつきであらねばならないな。』
と思うまでになってきました。
どうした心境の変化なのかは、ゆっくりと年月を重ねてきたものなのでよくわかりませんが、
舞台という場を必要としている以上、そこでは、たとえ人が死んだって劇中のウソになる、というのが、ぼくの「ウソ」肯定の入口だったようにおもいます。

それに、真実には重みしかありませんが、ウソには軽さがあります。
真実には物理の法則が、重力がかかりますが、ウソは存在しませんから、空気よりも軽いんです。ぼくはどうやら、この「ウソ」の軽さというのに魅かれているのかもしれません。

「ウソつき」というのはストーリーテラーのことです。物語なんて描くものは大抵はウソつきです。歴史だってストーリーテラーの支えによって言い伝えられてきました。そこには真実よりも軽く、都合のよいウソが交えられて、虚飾に彩られた華やかな過去があるばかり。
人口に膾炙されるにはそういったことが必要なんです。

だから、逆に言えば文字や言葉なんてたかがしれているのですよ。
衝撃的な言葉に出合ったとしても、それはいっぱつの花火に出合って「まあ綺麗ね。」とおもわずつぶやいてしまうとか、その程度のものにしかならない。
その人の有する時間に対しては、言葉なんてのはサプリメントというか、いいや、もっと「爪をきりなさい。」「歯を磨きなさい。」とか、声をかけてくれるだけ、「こんなのもあるよ。」と肩をたたく行商人みたいなもの。
そこを誤解してはいけない。ウソつきにできることは、ウソをついて化かすことくらい。

ではでは真実とはなにかというと、
それはもう文字ではなく数字の話になってくる。
真実は数学だと言いきってもいい。黄金比のフィボナッチ数列なんてのは、足し算の美学である。螺旋にしろ、うずまき構造にしろ、すべて世界は足し算によって成り立っているようなのだ。
これが真実。

世界は愛によって成り立っている、これはウソ。
足し算は愛の美学。これもウソ。

ぼくは世界の真実を数字で解き明かしてゆくよりは、文字でウソをつきつづけてさらに世界を歪曲・拡大させてゆきたいと思うのです。
真実の手間を思えば、ウソをつくのは楽しく気が楽なのです。

Comments