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めくらのこと

Feb 23

2012

江戸川乱歩に「赤い部屋」という話がある。


人生に退屈しきった青年が、ある晩、浮浪者を轢いてしまった運転手に出合う。
青年は近くのM医院を紹介すると、運転手は浮浪者を抱えていってしまった。

翌朝、青年はM医院よりも近くに外科専門のK病院があったことをおもいだす。
M医院は近所でも評判のヤブ医者で、外科医療もできないかもしれなかったのに、なぜ自分はM医院を紹介したのだろう。

気になって調べてみると、どうやらその浮浪者はM病院でろくな治療もされずに死んでいったそうなのだ。

青年は病院の場所を教えただけなのに、そのことがまるで、浮浪者の死の引き金になったかのようである。

言葉やタイミング一つで、いとも簡単に人の死を、それもまったく罪なく操れるということに興味を覚えた青年は、その後もつぎつぎに同じような殺人を繰り返してゆく。


身投げをしようとしている人にわざと大声で「待て!」と叫ぶと、ハッとなった拍子に落ちていったりだとか、
火事場で半狂乱になっている母親に、「子供が中で寝ている!」と声をかけて、業火に飛び込ませたりだとか、
サーカスの女芸人が空中芸を披露している最中に、客席でヘンテコな格好をして注意をそらせて墜落させてみたりだとか、
方法はさまざまである。

あるとき、
青年の知り合いの按摩が、下水工事中でフタのあいたマンホールの近くを、気付かずに歩いていた。
その按摩は強情な奴で、なんと声をかけてもかならず反対のことをしてしまう天邪鬼であった。そこで青年が「左に行ってはいけないよ。」と声をかけたところ、
按摩は「またまた、御冗談を。」といって左にそれ、見事穴の中に真っ逆さまで死んでしまった。

そうやって百人近くの人間を、なんの罪もない方法で退屈しのぎに殺してきたと語る青年は、「赤い部屋」に集まった好奇の傍聴者たちを前にして、
最後は他人の手を借りた自殺でしめくくる。というのが、この話の大筋である。


身も蓋もない、青年の殺人空想話で、さして取り上げて面白い話でもないのだけれど、
どういうわけか、按摩のくだりだけがずっと頭の片隅に残っている。

盲の按摩を、わけもなく殺すというところにどうしてか強く惹かれる。

白い杖をもって、黄色い点字ラインを歩いてゆく盲たちをみかけると、
なにかこう、一杯食わせてやれないものかと考えてしまう。

いいえ、これは退屈な青年の刺激ほしさというものではなくて、
もっと個人的なもので、盲に対しての悪意があるようなのです。

それは単純に、目が見えなくなることへの恐れからです。
目が見えなくなったら、それは死んでしまったのと同じくらいだと考えています。
目が見えないのに、どうして杖一本つかんだり、人の手にすがって生きていくのか、
どこに面白みがあるのか、何を見ているのか、
視覚が奪われたらと考えると、こわくてたまらない。

ボルヘスみたいに、盲になっても口頭代筆で、小説を書き続けるなんてことはぼくにはできそうにありません。
目というのは、それだけぼくにとってひっかかる部分なのです。

以前、道玄坂のホテル街を商売女に手をひかれながら登ってゆく盲の男をみかけまして、
なんともいらだたしい気持ちになりました。

吃り以上に、盲は不具です。
盲はなによりも不具かもしれない。
だからこそ、そこに恐ろしさもあるのです。
その不具ゆえに、人をひきつけるなにかがあるのかもしれない、などなど。
もし、あの道玄坂の女が商売女でなく、あの男のものなのだとしたら……と考えると、
それはまるで、ヒットラーがユダヤ人を憎んだかのように、
KKKが黒人を憎んだかのように、
とは言いすぎですが、なんだかそんな気になってくる。

劣等感やら虚栄心やらとは面と向かって戦ってゆくぞとは思っているのですが、
こと目に関しては、どうしようもなく取り乱してしまうかもしれません。

目。

そういえば中学のときのクラス文集に、
第三の目がほしいとか、未来をみすえるとか全然面白くないことを(画つきで)書いてしまって、
消してしまいたい過去のひとつになってます。

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