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黒いブラたちの、「ながら」行為

Mar 20

2009

いちおうこれでも僕は演劇をやりたい人間なのですが、どうゆうわけか、演劇公演を見に行く数は減っていき、舞踏やコンテンポラリーダンスばかり見ています。

言葉を使わないということは、表現の幅を狭くするように思えるのですが、それがなんのその。

意味のある言葉を吐かなくなるからこそ、別の部分で補うかのごとくに、肉体言語ということを手に入れていくようです。

文字や言語によって、伝達という作用は発達したのかもしれませんが、それによって……たとえば木の葉ばかり見て木を見なくなったとか、森を見なくなったのと同じように、

言葉を失うことによって、根幹の部分が見えてくるのは驚きと感動が押し寄せます。



関係性ひとつにしても、言語は説明をするという機能をすてきれないところがありますから、かならず挨拶からはいったり、そういう関係なのかをはっきりさせていく必要があります。

が、単なる動きとなると、そういったのもをすっ飛ばして、とつぜん鶏のように頭を前後させながら、相手の真横を通り過ぎたってありなわけです。

鞭をもって現れて、何の前触れも関係もなしにぶちたたいてもありなわけです。



そういったものが、なんだか面白いのですなあ。



だから逆にいうと、演劇もしゃべるならしゃべるだけの何か特殊なことが必要だと思うのです。



その芝居をみても、あまりにぺらぺらと流暢にしゃべるものだから、なんとなあく、嫌悪感というか、つまらなさが残るのです。



セリフかどうかちうことでもなしに、なんだかもっとこう、観客側が参加して楽しめるような……積み木を提示して組み立てるのは観客の自由というようなことができたらいいのだと思うけれど……



それがうまくいったなら、なにもこんなに悩んだりしないわけですな。

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