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鞍替え。

Dec 19

2008

良識や、美点や美徳といったものを非難し攻撃するというのは、いつの時代も作家や創作家の人々の原点でもあります。

「ただし」、と、この注意書きが非常に重要なのですが、単純に破壊するだけの破滅的な、底に足場のない、やんちゃなだけのものも多くあります。

同じ攻撃的な文章でも、それは区別しなければなりません。



見分けるためには目や耳、知識や直観が必要になってきます。

それはとても難しいことです。なぜなら、その本筋から離れた亜流のものが、とても多いからです。

またその数ゆえに、良識や美徳などを勘違いして吸収し、生活が苦しくなっていきます。





そうなのです、創作家の意図の底には「生きやすくなる」ということがあるでしょう。

それは、作家自身が求めた、この地球上に探しても見つからなかった「自分の居住区」であるかもしれませんし、

また、生活していく上での新しい道を指し示すものでもあるかもしれません。

多くの創作家は、そういったものを掲示しようとします。



亜流の方々は、自分の人生から「悟りを開いた」と思ったことを載せようと思ったり、または暮らしていくために、商業として、身売りしたような、観客を悦ばせるものを作ったりしている傾向にあるようです。もちろん、一概にそうとは言えないから難しいんですが……



人間というのは、考える脳があるので、さまざまな知識を吸収していくのですが、あまりにも情報が多く、それを蓄え過ぎて人間の根幹を見失うことがあります。

創作家は、その贅肉の部分を剥ぐ協力者であります。

脂肪がたまると、血管が詰まり、脳梗塞になったりします。脳が鈍っていくのです。そこに、その脂肪を燃焼させる刺激物として、創作家の思念が働き、鈍った感覚を取り戻していけるのです。



つまり、そういった創作物に触れ、感じるのは、人間に必要不可欠な要素なのです。





と、ここまで書いたところで、また次の注意点があるのですが、同じ刺激物では脳は飽きますし、脂肪の方もなかなかとれなくなってきます。そのくせ、この脂肪は「なくなったフリをする」のです。この芸当に、よく騙されます。

たとえば「映画」を見て、「感動した」とか「泣けた」とかいうもの。

そういう感想をもう何度も言っているようでしたら、注意してください。あなたの本心はもう、それらに飽きているのです。ただ、それを見たという自分、泣けたという自分に安心しているだけなのです。それは決して文化を取り入れたというのではなく、話題(知識)を仕入れただけなのです。



ちなみに、これは僕の価値基準なのですが、はやめにハリウッド映画は卒業したほうがいいです。映画界でわかりやすくいうと、「中学生」といったかんじです。世の中には「高校生」の映画や「大学生」の映画もあります。もちろん、大学院や玄人向けなのもありますが、そこまでいくと、完全に映画通です。僕もそこまでは踏み込めません…狭く浅くです…







話は戻ります。

創作家は、世界のあちらこちらに、その粒子を遺しています。亡くなった方々も、今活躍している方々も。あとは、それらにどれだけ気づくことができるかです。

循環系の線路のように同じところを回るのもいいですが、たまには別の沿線に乗り継いで見聞を広めると思わぬ発見があります。

血も一緒で、たまには出血しないと、濾過するだけでは清潔な血は作られません。男性の方は特に。





……僕も、もちろんその創作家の一部に加わりたいとは思っているのですが…少しずつがんばっているところです。

今、僕にできるのは、そういった創作家側の紹介や、感じ取り方などを、少しでも伝えられたらと思っています。架け橋役にでもなれたらいいなと。



馬に乗るときも、鞍が必要だったりしますから……



次回は、なぜ創作家が変人といわれているか!!です。

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