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雑記

Dec 16

2008

今日、ふと中学時代のことを思い出しました。

勉強も運動もできる人がいたのですが、その人が、ある人をいじめておりまして……



このいじめってのは、僕らのころだと、まだそんなに「いじめ」ということが社会現象のようにとられることはなくて、学校生活における日常茶飯事でして。

まあ、ご存じのように、子供というものは学校という小国家の枠内で、人間同士の関わりあいから生じる数々の出来事を人生の模型として収集・経験しているわけです。だからいじめというものも、その一部として、消化するのが当然。



もちろん、最近は手口が陰険で巧妙というのもありますし(狡猾な親の影響がみられます)、また、当時は怪物両親も学年に3人程度で、周りの保護者からも白い目で見られていたのです……テレビの中のような出来事は、福岡の片田舎にはまだ届いていなかったようですが、今では全国各地で増殖しているようですね。教師をやっている友達からも聞いたことあります。

だからこそ、やれ「いじめ追放」だの「教師の責任」だのが大人の口から叫ばれているのですが。



いつの時代も、「民衆」という十把一絡げの単位になると、利欲をむさぼる意志しか示さないのが人間です。

初詣の神社なんてのは「お願い事」で渦巻いていて、どんな神聖な場所でも空中を鬼が火車を引いて走り回ってるみたいで、気分がわるくなります。



なんでも、神社さんということろは、お願い事をする場ではなく、今年かなえたいことを宣言し、そのために努力することを誓う場であるらしいです。



そんな私利私欲の「あわよくば」の言葉に耳を貸すほど神様も手すきじゃないようです。自分の将来くらいは自分でつかみとると。





……話が飛びすぎましたが、その中学のいじめの話ですが、いじめられて人が登校拒否を敢行したのですね。それで、われわれいじめていたグループが自宅まで謝りにいくとのことで。

その当時からすぐに怖気づく僕でしたので、その勉強も運動もできる人に

「もし、自殺なんかしたらどうするよ。」

と聞きました。そしたらね、

「そんときは俺も死んでやるよ。」

と言ったわけですよ。素晴らしい覚悟だなと思いました。



その人とアルツハイマーとか記憶喪失とかの話をしていたときも

「俺が、もしアルツハイマーとかにかかって、何もわからなくなったら、迷惑かけるまえに殺してくれって言っておくよ。」

といってましたね。



そりゃ中学生ですから、生きる死ぬの話が平気ででてきます。

生まれてから十数年の人間ってかけた時間が当然短いからですかね。それに、これから先のことも考えて、そういう話のてんこ盛りなんでしょう。



なんにせよ、僕はその人のその胆が据わっている姿勢に「ああ、そっちがいいな」と思いました。

少なくとも、その言葉を言った時は、冗談のようには聞こえませんでしたし。



若いっていうのは素晴らしいです。





また、その若さをどれだけ、輝きを鈍らせずにもっているかが、また重要なんです。





年を重ねると、当然命の重たさと、実感とが明らかに変わってきます。命と心臓とがだんだんと親密に結びついてきて、しまいには、肉と命とがくっついたように感じます。そうなってくると、生きる覚悟とか、責任とか、まあ「今は死ねない」となってきます。

中学校の頃は、授業中に窓から飛び降りたって、平気で笑っていられる余裕と自由を獲得していた気がしたのですが、たとえば、就職したり仕事をもっていたり家庭をもっていたりすると、もうそんな考えは靄の彼方、やることといえば、電車の前にホームから飛び降りるくらいです。

この高さの違いがわかるかしら??



若さは想像力に翼を与え飛ぶものですが、年を重ねると、悩みと苦労とで肉を肥えさせ、落下をしていく、死ぬまで地球上の法則にしばられている。



さて、どちらがいいでしょう。



いやいや、どちらもやっちゃいけません。

実際に飛び降りさえしなければ、想像力なんてのは、僕の大好きな寺山修司さんの代表的な言葉をかりますが、「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」です。



この脳が考えることは、脳も肉ですから、死ぬということは、翼をたたきつけることです。やっちゃいけません。



人間は足を使って、地面を歩くのだから、空をみて飛びたいとおもう欲求はだれにでもあるのですよ。だからその翼をね大事にしないと。





死んではいけないてのは昔から思っていました。教科書に載ってる太宰や芥川を見ては、こんな人の本になんの価値があるんだと思ってました。



今ならわかります。価値は大ありです。描くものにああまで忠実に死ねるというのは、ああも劇的にいきられるというのは、作家の鏡でもありましょう。恐ろしく正直で、真っ向から向き合って……だからこそ余計に悔やまれるし、今になっても「ああ、やられたっ!」と思うのです。





またそれとは別に、三島由紀夫さんの壮絶な死に様……

戦後、昭和の地において、自衛隊の基地に立てこもり、報道陣を集め、この戦後の日本のありかたについて演説をしたのちに割腹自殺……この大事件!



それがなぜ今は、こうもだれにも語られないのか…



また、若くして死んだ、中原中也とか、前に書いたロートレアモン伯爵…

なぜ、彼らは死ななければならなかったのか……結核とかだけでは説明がつかないです。







……一体なんの話だったかしら。

そうだ、とにかく、僕は、小林秀雄じゃないけれど、浅く狭い知識を使って「考えるヒント」となるような話をいろいろなものを結びつけながら少しずつ語っていこうと思っています。



肝心の芝居や戯曲、演出、俳優とかは……(そのことを語る以前にすごく大事だから)ぼちぼちさしはさみながら書いていきます。



これだけ書いても誤解する人がいるといけないので書いておきますが。

自殺なんてもってのほかですからね。

苦労するし、痛いし、死んでも同じこと繰り返すだけらしいし、いいことないらしいですから…。

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