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蜻蛉の足が水面触る四月の風

Apr 28

2008

もう少しで書きあがる次回作。

原稿用紙から離れて、プリント用紙に書いていきました。

それを今度は推敲しつつパソコンに打ち込む清書です。

ミミズ字なので、こうしないと自分以外に読むことができません。



今回は、書いているうちに、最近読んだ「恐るべき子供たち」が思い返されました。ジャンコクトーによる小説なのですが、二人の姉弟による、純潔への挑戦が書かれていたように感じました。二人は子供部屋にこもって、いつも仲のよい友人と4人で遊んでくらしている。それが、二十歳を越えてもおかまいなしに続くのである。壮絶な兄弟喧嘩はより深い愛情で結ばれているがゆえの、儀式として毎日のように激しく罵りあう。それがなくては二人の子供部屋の生活は成り立たないのである。そして、「世間・社会」に背を向けて純潔のみを胸に育った二人に残されたのは、この部屋がいつか終わるという現実と直面することである。もちろん常より構えていたものであるが、この二人の純潔の前では、あまりに社会の実情は見るに耐えない冗談の集合のようで…結局は二人はこの子供部屋の空間に舞い戻ってしまう。

しかし、社会への危機はそうやって盛り越えたものの、人間としての情熱への危機は防ぎようもなく弟の胸に降りてくる。それはつまり恋である。

身もよじれるほどの苦悩は日増しに大きくなり、ついにはこの子供部屋崩壊の危機へと直面するが…そこでは姉の機転により、強制的に失恋へと持ち込み、またも子供部屋に囲い込む。

もう、ここまできていたのなら、どうあがいたとしても、この子供部屋の純潔からは抜け出せないのである。

孤城の王となった弟と、孤島の天女となった姉弟には…おそらく死しかなかったのである。おそらくは、その二人の間には近親相姦を越える萌芽があったと思われる。





とても狂おしく愛おしい話であった。





僕の書くものは到底そこに追いつくものではないが、ふとするとその「子供たち」の光景が浮かんでくる。

イヤヨの次回作の方にも兄弟が出てくる。それぞれが腹違いの三兄弟。兄・姉・弟である。

この三人は山奥で、世間とは隔離された生活を送るようになる。

この山奥の…の設定が「子供部屋」に感じられる。



美しく在りたいと思うのだが、僕にはそんな天才的な文体や技術などなく…素人の筆かじり程度ある。



もちろん、僕がものを書くのは、少なからず自分の書くものが、なくてはならないと感じているからであるが…そんな自負心を見事に打ち砕く、比類ないエネルギーや使命を背負った、どこまでも素晴らしく、秀でた本にであったりする。

これには、まったく持って打ちのめされる。

実情、素人の僕にとって、素人であるという強みへ逃れたくなる。逃れるどころか、卑屈になって帰りたくなる。

それほどに素晴らしいものに対しては畏怖の念を抱いて、神仏であるからと分別したくなる。

同じ人間、ましてや一人の人間の指先から生まれたと思いがたい。

神々が総出で相談し欠かせているかのような、原爆のような破壊力をもった文章というものが存在する。

それが探せば探すほどに在る。



地球上で一番高い山は、チョモランマ・エベレスト等々であろうが、それは地球上でのことであって、他の惑星なんかに目を向けると、ゆうにその何倍もある山々が平然とそびえ立っているらしい。



吐こうにも吐けないくらい胸焼けがしませんか?

別段、その山を登頂したからといって、その山より高いわけではなく、見事な本を読んだからといって、その文章や感性なり技術なりを獲得できるわけではない。



さてどうしたものか。

「子供部屋」に引きこもりたくなるも、殺してくれる姉もいない。



後は…自分の古墳でも作って山と言い張るしかないのだろうかしらん。

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