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罠まで魚を追い出す漁法

Dec 21

2008

良い芝居、とびきり面白い芝居、それも演者側は苦味を味わいつつも軽やかに観客を楽しませるような、スマートな芝居を見ると、どっと、押し寄せてくるものがある。

さて、僕は頭でっかちである。もう自分で書いているものや考えていることを省みてもそう思う。認めたくはないから、ぼやかしておくが。



そんなときに押し寄せるものが、「素晴らしいものに出会えたという感動!」とかならば、とても素敵な美談になるのですが、こうして、日々悶々としている状態の僕からは、どうもそういう気持ちの良いものは出てこないようです。



おそらく、卑屈になっているのでしょう。これも、ぼやかしておきます。



どうあっても、僕は自分の作る芝居、つくりたい芝居と比べます。

僕は今まで、三公演やってきて、四公演目も直前までいきました。そのどれも非常に苦しく、公演を打つ度に友人が減っていく程です。出演者・協力者から次々と三行半を突き付けられてきました。

なぜ、そこまで行ったのかというと……高緯度の要求を続け、できなければ馬鹿と切りつけたからでしょうか?それとも、独自の世界観をわざわざ演じて世の中に出すまでもないものだと、出演者側に思われたからでしょうか?難解すぎたのか、僕が自分には甘かったからか?理由はいくらでもあるでしょう。

ですが、求める世界観に近づけるために、鬼のように冷徹に非難を浴びせ続けます。持前の「考える」で、言葉により、がんじがらめにしていっているのかしらん?となると、出演者陣は、やりきれなくなるんですね。思うとおりできないとか、意味がわからないとか、この人についていっても無駄だとか、才能がない、信用できない、面白くないとかとか。



でも僕はもうどうしようもないのです。とにかく、前に進むしかないのですが……それがおそらく「空」ばかり見て、足元を全然みていないように感じられるのかもしれません。

僕は、思う通りに納得するまでやり通そうとします。その自分の曲げられない部分は絶対に通さないと気が済みません。そこを曲げるくらいだったら、芝居が中止になっても構わないくらいの覚悟をもっています。(それで四回目は中止になったのですが……)

そして、いざ、公演の幕があけても、出演者も楽しくなければ、僕の芝居づくりの意図もあって、お客さんも楽しくなかったり。中には怒り出す方もいらっしゃいます。





ハタ迷惑をかけながら、わがままを押し通し、理想の国家をつくり、そこに王様ではなく、神様のように君臨しようとしている…ように見えるのかもしれません…(すいませんが、あれもこれもぼやかします!)





と、そうして、衝突して、苦い思いして、最後には苦味しか残らないのです。公演の映像撮ったりもしてるのですけど、あまり見返したくないですし。達成感というよりは、毎回、どれだけ苦しみに耐えられたかを競ってるみたいです。





なぜ、そんなことやってんだか、自分でもわからなくなるのですが、やらなきゃ気が済まないみたいですし、今、それらを表に出していかなきゃならないという使命感も、なぜか持っています。







ところが、その、いい芝居というのが、「曲げられない部分」をひょいと飛び越えつつも、チームが団結し、一つの思いを目指して、苦労を感じつつも、楽しいし、なおかつ、お客さんも楽しめている。





いい芝居に文句をいうのではございません。本当に。





このときに、ちょっとでも、「ああ、僕のやり方が間違ってたのかな」と思うと、今まではねのけていた部分が一気に帰ってきます。

やれクソミソに言った方々だとか、きびしくきつく当たった方々だとか、僕に忠告・批難・助言をしてきた方々だとかの言葉とか、恨み等々が、押し寄せてくるように感じます。



見た芝居はとても面白く、うきうきして、その芝居の話だけで何時間も語れそうなくらい、良いものだったのですが……反面、ものすごく気が弱くなります。

誰彼の他愛もない言葉が耳元に聞こえてくるような気がするくらいセンチメンタルでヒロイックになるのですよこれが。「君は視野が狭いなあ。目の前のこれくらいしかみえてないじゃないか~」等々。



と、これが一晩続いて、次の日の夜くらいにすこしずつおさまり始めます。



そうして、喉もと過ぎれば熱さも忘れるように、やたらと権力を持ち始めたその弱気を抑えつけて、また自分の負けん気で封をするのです。





また気の長い日々が始まります。





次回予告していたのは、このあとに書きます!

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