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粥すする木の匙。

Aug 6

2007

稽古場レポート!



演出家なんていいますけども、要は「仲の取り持ち」「交通整理」みたいなもんでして、非常に気を使うわけでございます。

特に、悩んでいる俳優方々に対して、その方法論を説くときなんかは、誤った理解をされないよう、その人がわかる言葉で、わかる方法で伝えなくてはなりません。

気をもみます。



もちろん、そうやって、「伝える」という工程は、各俳優にそれぞれあります。



今回は本房さんの番でした。

女主人公を演じる杉村さんに続く、もう一人の女性。



原作マクベスではマクベス夫人という役どころがありまして、旦那マクベスの優柔武断さを払いのけて、見事国王を殺させるという恐ろしく気の強い人物がいます。

「漢盛りマクベス」では、その主人公が女性なので、夫人というポジションは「姉」というふうに代わっております。





「姉」という割りに……実は本房さん、今回のメンバーの中では最年少。



まだ色々迷いもあります。





今では「キャラクター」というものに悩んでいたようで……



前にココにも書いたと思いますが、僕の演出や本では「キャラクター」というものは意識しません。そういったものは二次的な副産物で、日本語で言う「個性」とはまた別の意味だからです。現在では「見栄え」と化していて、「見易さ」を助長し、観客側の想像力を殺ぐものだからです。

日常で、初対面の人間を前にしたとき、相手のキャラクターを探れますでしょうか?

会話し、喋っていくうちに、なんとなくこんな人なのだなと、じんわりやんわり届くものです。



ですから、そういったものは、僕は意図的に排除します。



しかし、そうしますと、今までソレにすがっていた本房さんは、宙ぶらりんになってしまいます。



本房さんは、役作りの心材として「キャラクター」というものを持ってきていたので、ソレに代わる新たな心材を探していました。



しかし僕は思うのです。全く別の人物に「人間味」を持たせるのは非常に難しい。だったら、一番人間らしいのはなにか。手元にある、一番人間味を帯びたもの。それは自分です。

自分という生の人間をそのまま使えばいいのです。



しかしただ単にそのままでいいのであれば、役者は廃業です。



より、人間味をますためには、より「生」であるべきです。



服を着ていても、精神的に裸で舞台上に投げ出され、その上で、なにかを紡ぎ上げていくことこそが、現状での舞台で求められることだとおもいます。





なにかしらの極限状態でいなければ、俳優は存在し得ないです。大多数の前に身を売るのですから、何かがなければならないのです。



その苦しい状態で、多くの人々は「キャラクター」という「別人物の皮・盾」を纏い、なんとか身を守ろうと、裸体を隠そうとします。



そこの葛藤こそが俳優修行なのでは?





僕も若いので、まだこのくらいのことしか書けません。



それでも、本房さんはなんとなくわかってくれたようで、戸惑いながらもそういった芝居におそるおそる片足を踏み込んでみたようです。

ありがたいです。





ちょいとばかし真面目なお話でした。







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