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浮草の島

Jan 31

2009

1月が終わります。

おそろしく早いです。



更新が滞っていましたのはですね、今年の目標の一つである本を書くに挑戦中だからです。

膨大な時間がかかる割に、遅遅として進みません。

僕自身も非常に自分に甘い性質ですから、気が乗らないと手をつけないことも多々……。

戯曲は何本か書いてきたとはいえ、ジャンルが違うと、表現も違うといいますか、見せる部分が違うので、重きを置く場所が変わってきます。



戯曲は人間が演じてこその必要があって書かれるもので、こまやかな心理描写などは俳優の腕にもよりますし、演出家の解釈によっても千変万化。

それに、生々しい人間が演じてみて初めて見えてくる、戯曲のどこにも書かれていない立体的な雰囲気や匂い、暗黙の感情や関係性があるわけです。

それに加え、戯曲には解釈の幅や遊びの部分も設けてあります。役者に委ね、彼らによって変化させていく部分があります。

余白が大いにあるわけです。

戯曲を読むときに、なんだかスカスカした気分になるのはそのせいであるかもしれません。落ち着かないといいますか。完成形ではないのですから。





それでは逆に小説とは?と立ち返ってみると、僕はまあド素人もいいとこなのですが、いま感じていることを言わせてもらいますと、やっぱり読み物として完全に成立しなければならないのですね。演じる余白ではなくて、読み手の想像力の余白を残さなければならないような気がして、そこが非常に難しい。

演じる場合は、解釈などをその都度、俳優たちと話し合ったりしながら進めていけるので、あまり失礼はないのですが。

読み物で想像力の余白だなんていうと、これはふとするとおこがましいことになります。想像力を掻き立てるというと聞こえはいいのですが、それは下手すると作家の傲慢になるわけです……「こうすれば気持ちいいんだろう。こうすれば気持ちいいのだろう。知ってるよ。ふふふ。」

腹立ちますよね。

だからそういった作為は早々に排除したいのです。



とすると、的確な描写が必要になってきます。人物にしろ、光景にしろです。

戯曲を書くときには、目で見たり口で言えばわかる部分は書かずにきていたので、苦労してます…

なぜその人間がその行動に出たのか。その理由をその文字と文章の中に見つけなくてはいけない。絵のように、細やかに描くことが重要になってくるみたいです。



かといって、それが風景画や、写真のようではつまらないのです。

人間が加わることが、何とも言えない匂いがたちこめなければ。流動することによって、呼吸が生れ、鼓動が脈打ち、色づいてくるのだと思いますから。文字とは固定されるものなのですが、そこに人間の移ろいや刻一刻と変化していく心情を練り込めば、まるで言葉が生きているようになる。気がします。





ただし、必要以上の手を加えることはよくないのかもしれません……まだその折り合いはついていません……。



ただし、どうしたって、読む側としては、書かれているものをひたすらに追うわけです。

作家の意図がどうあろうと、とりあえず、読み進めて、読み手側で判断を下すのです。(なんにしたってそうですが)面白い面白くないの判断をするのは、読み手側。

こちら側の意図が、たとえば作家と読み手の作業を、パソコンでいう圧縮と解凍の関係だと思っていても、解凍ソフトを積んでいないことがほとんどではないでしょうか?

作家が死ぬ思いで、脳髄に思いついてしまった描けねばならないことを、なんとか最小限のスペックに圧縮して、誰にでも届けられるように書き記したとしても、読み手側が解凍できるかはわかりません。

そのファイルを開いて見ても、文字化けするかもしれませんし、別の世界がえがかれるかもしれませんし、よくわからないといってゴミ箱へ落とされるかもしれません。網膜を通過するだけかもしれません。記憶に残ったりすることがあるのかどうか?



いいものはいい。よくないものはよくない。その判断はあっさりと下されてしまいます。ぐうの音もでない。

それもそうです。消費の対象でしかないからです。その本の金額分、時間分を味わって、終わりです。

弁当についているソースの袋みたいに、ギュッとひねり出してしまえば、捨てるだけです。







ですから、書く側もそこに期待しててはいけないなあと。

折り合いです。うまく生きていくためにはその折り合いが重要なんですね。





なんにせよ、書くときはそんなことあんまり考えてられないのですから。

ちゃんちゃん。





……書いているうちに不真面目になってしまいました……いけないいけない。

ではでは、戯曲と小説と似ている部分は?……だれも興味がないとは思いますが、続けます。



おそらく、最終的に伝えたい像が一緒ですね。雰囲気と。それから、持ち合わせている世界視といいますか……聞こえはいいのですけど、頑固者の向こう岸からの意見ですね。などなど。



単純にいうと、登り方が違うのですが、頂きは一緒。ただし、堪能すべきは頂上からの眺望ではなくて、道程。



それから、戯曲にはない遊びもできます。特に、場所が固定されなくていいのが嬉しいです。(笑)

抽象的な舞台装置であったら、その空間がどこにでも変身するのですが、多くの舞台は室内であったり、場所が固定されたものなので。







おおよそはこういったところから始めています。

あまりの言葉の知らなさや、表現の拙さが露見しまくりで辛く恥ずかしい思いをしていますが、ひとつひとつ勉強しながら進めています。





また、色々と本も読み続けていますので、今後も少しずつ紹介していきます。

それから今度旅行にも行こうかと検討しています。それは追ってまた、載せようと思います。

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