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整然とした車輪とガタガタの車輪

Jul 9

2008

あるビルの最上階からエレベーターを使って降りているときのこと。

子連れの母が乳母車を押しながら乗ってきた。

その後も1フロア降りるごとにお客さんが乗ってきたので、エレベーター内が混んできた。乳母車に乗った子はふてぶてしい顔をして(実際にもう乳母車は卒業してもいいくらいの子。自分で歩けるのにそうしてないかのよう)言う「いっぱいのってきたねぇ。…いやだな。」

母は周りに気を使いながら「なんでそんなこと言うのよ。」とキツク言い放った。

そしたらその子がいうには…

「だってみんな傷ちゅいてるんだもん。」





エレベーター内は皆さん苦笑い。

赤ん坊だからって、言うこと全てが虚を突いてると思ったら大間違いである。感心なんてしてはいけない。

少なくとも自分で歩こうともしない子に傷ついているだなんて達観したようなこと言われる義理はない。まるで電脳世代の言い分である。

こちとら2本の足であちらこちら歩き回って、様々な人や状況に自ら出会いにいっているのですよ。少なくとも、戦わずして最前線の兵士を笑うのはどうか?それはまるで「アメリカと戦うだなんて日本兵はバカだなぁ」と言わんばかりではないか。

残念ながら、どちらももぅそうせざるをえない程の緊迫した、しようのない結果なのである。





はたまたこうも考えられる。

道端で歌う音楽青年の希望に満ちた歌詞。

「傷ついたっていいんだよ」とか「明日はきっと晴れるよね」「キミはまだ歩きだしたばかりなんだ」とかとか。歯の根の浮くような甘ったるい青春賛歌。

赤ん坊からしたら、「傷つく」ってのは単純にマイナスのイメージしかないのだろう。なんで疲れてるの、そんなに嫌ならそうしなければいいじゃない。





そんな子供の論理で、大人はギョッとすべきではない。

残念ながら、こちらが痛みを望んでいるからである。痛みを伴わない成長などないし、美を求めての変化や変形はシナのテンソクのように苦痛を伴う。

踏ん反り返って乳母車に押されている子供にはわかるまい。





そんな世の中の常識であるべきことが歪んでいる例が多々ある!

子供の発言にギョッとする、寛容な大人が多いようである。

例えば…今日見た芝居がそうだ…



(つづく)

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