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放射状に延びる光の筋

Dec 22

2008

なぜ、創作家には変人がおおいのか。



変人とひとくくりにすると非常に失礼なので、変わった人として話ますが……

どういったことが言えるかというと…

有名な著作を残している方はことごとく同性愛者だったり。ものすごく頭がいいのに、文字が書けなかったり、読めなかったり。



天才なのにスカトロだったり。

サドの語源になったり……。





……いったい、何を「変」だととったらいいのかわからなくなってきます…。





さて、おそらく、そういった方々は自分を「変」だなどと思っておりません。知識としてなにが「正常だ」と言われているかは知っているが、自覚はありません。世間一般の常識や美徳だなどというものに後ろ髪をひかれたりするのかもしれませんが、その人たちの情熱の傾け方といったら、こうと思い込んだら、それが不法だろうがなんだろうが、それらに最高の価値と権力を与える方々です。



普段から、ものすごく神経を研ぎ澄まし、発見や衝撃や発現といった世界にどっぷりと身を浸しているものですから……たとえるならニトログリセリンの溶液の中にいるみたいな。

だからふとした衝撃、なんてことないことにでも、そこからものすごいひらめきを得て、日常の様々なものをふんだんにコラージュしつつ、新しいものを生み出すことのできる方々。





おそらく…これはおそらくですが、住んでいる空間が違うのでしょう。そしてこれは、たぶん自覚はなしです。





もちろん、いつでもなんにでも反応できるような経験や知識や努力はしている方々です。それも自ずと。

そして、創造するということの無力感なんかもわかっている方々です。



彼らは時として憑かれたようになります。脳の中に次々とイメージがわいてくるのか、手が勝手に動くのか…おそらく、何者かに「かかされている」という感覚が強いのではないのでしょうか。



頭で描くというのはほとんどないように思われます。

何者かが通るトンネルと化すのです。何者かのツールになるように思われます。もちろん、望んで。もちろん、それには、その人の人生をかけたものが現れるわけなのですが、なんというか、何者かとの共同作業のようなものができあがるわけです。



創造というのは、神にも匹敵するものです。人間の最大の力です。

それには類まれな想像力が必要ともなってきます。広大な水の中に身を投げ出すほどの、覚悟と開放感も。





また、生まれたての赤ん坊のように、エネルギーに満ち溢れた存在に立ち戻ることができなくてはなりません。

年は果てしなくとっていくのに、その原点まで、ふいと体をゆだねていくような……そこを追い求めていく……







とまあ、そんなことをずっとやっている方々ですので、細かい社会のルールなんてものが、意識の低い部分にいくのでしょうかね。

中には何からなにまで劇的に感じられちゃう人もいるわけですから…傷ついて、薬に手を出したりとか、結末が壮絶な死に方だとか…





それに、たとえば、「男」と「女」というのは、概念と知識でしかなくて、意識としては、それぞれの「存在」というもので、共通しています。

それぞれを「存在」として、つよくひかれたのが、「男」であったり、「女」であったり。

また、同じ性をつよく愛するというのは、自分の芸術に対する探求心とも重なったり…

 もちろん、深くは当人じゃないとわからないです。僕のはあくまで憶測の範囲をでないですし、たぶん、あんまり無知のまま書くと怒られます。



そうこうして、なんとなくぼんやりと出来上がってきたものが、やれ、奇妙だとかなんだとか、周りからの「分類」という網に絡みとられて、この人は、同性愛、異性愛、この人はナントカ趣味だとか、整理されていくのでしょうかね…?



そのくせ、いい品を残すものだから、教科書に載せなくちゃいけなくなって、やれ、真面目そうに「偉人」だと記して業績ばかりを連ねるのだけれど、たぶん、その人自身に会うと、その創作の過程なんてものをみると、ものすごく楽しいのかもしれません。



ある人なんかは、自分の糞尿を混ぜて絵を描いたとかも聞きますし…





球体の中心から、放射上に、さまざまな角度に伸びようとしているのが創造家の芸術の模索だと思います。

その軌跡をたどることによって、作品をみることによって、さまざまな世界や宇宙を知ることができ、脳や想像力、人生に深みや豊かさがうまれるのではないでしょうか。



だから、お得なのは、いろいろな人の背に乗って、いろいろな物を見ていくことですね。





残念ながら、どの芸術家も一生をかけてある一方向しか追えないわけですから。

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