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人形の夜(2)

May 31

2009

土曜日は昼夜と続けて。



お昼は新宿のブラッツという劇場へ。養成所のころの同期の方が出演するというのでお誘いいただきました。

前の晩に見ていたのとのギャップがありすぎて齷齪しましたが、比べるのは悪いとおもいつつも、やっぱり趣味はあるもので。

出演者ではなく、作演出側とまったく折り合いがつかずに、ちょいと苦しみました。大学生がよく陥る思想や主義というのを扱うにしても、その範囲を出ないですし、なにかといえば恋の……いえ性欲の強い話ばかりで……エリート揃いの辺境の職場という設定なのですが、もうちょっと仕事の匂いや優秀な人物の匂いというのが(まぁ演劇だからいいんでしょうけど)感じられず……もうちょっとまじめに働けよぉと思いました。

会話劇はわかるのですが、最近のはやりの芝居はどうも会話に溺れ、ストーリーに溺れるというのが辛いところ。これは、出演側の問題ではなしにです。役者さん方々はものの見事に役どころ、演出側の要求にこたえて、(プログラミングされて)いたと思います。……身振りの演技というのが多くて……それぞれの心身状態が……わかりやすかったです……。



趣味が違うので、どうも何と書いていいものか……。

第一に作家側にこの発見は俺だけのものだという感覚があってですね、こちら側で味わう余情、残身というのが、少なく……イメージ的に訴える要素もなくて、若者の汚染された心傷がその基になっていたので……これは同世代にしかわからないんじゃないかとも思えました。そのうえに結末が悲劇で……最後くらい強引に三文オペラくらいに明るくなれば、まだ期待を裏切られた感じが出たかもしれないですが……

ちょっと徹しすぎたというか、浅いというか、はやりに便乗したというか、これが人間関係だというような部分は人間自体を甘く見ているし小馬鹿にしているし、変わりきった風に装っている若者がそこに見えるので……なにをとっても、どうとも言い難い……。

若者ぶった倦怠感と諦めは、決して賢明さを表すものではないし……もっと書けることはあったように思う。

ただ俳優さん方々は次々と入り乱れる展開の中をしっかり芝居しようとしていたその態度がすてきでした。

演出側がこうゆうところに目をつけたのだというところも一目瞭然で……



なんともやはり、そこは良い若さだったと思います。





で、夜です。夜は阿佐ヶ谷の喫茶店での一人芝居。

これがまた趣味に合っちゃったものだから……お昼の方々ごめんなさい……。

名曲喫茶という名のとおり、店内はオーディオ機器が。機器といっても、スピーカーは店内奥に壁一面を占めている巨大なものと、その背後の反響板・くぼみ。さらに蓄音器から伸びているラッパのような器具が、そこかしこから生えている(飾りとして?)。アンティークも狭い店内に要所要所に並べてあり、天井からつるされたり、端のほうに寄せてあったり。

小さなテーブルと椅子があるばかりで、店内はごちゃごちゃした昭和の喫茶店といった雰囲気。一五人も入ったら一杯になるほど。

舞台などは設けてなく、ここで今から何かはじまるとは思えない感じ。



一人芝居なのですが、もう一人音楽を奏でてくれるアコースティックギターを抱いたセクシーな黒服のおじさまがいらっしゃいます。

僕は出演される方と以前に通っていたコンテンポラリーダンスのワークショップで知り合っていて、誘ってもらいました。

とても気さくな女の人で、その喫茶店についたときも普通に店の外を歩いていました。とくにひかえるとこもなくて、ぶらぶらとしていたようで、僕がきても、いつもの雰囲気となんらかわるとこもなく、まさにニュートラル。

店の中に座ってコーヒーを飲んでいても、見に来ている知り合いの方々と気のいい談笑。その様がなんだかえらく格好よくみえました。



さて、芝居の始まりも、いつということなく、ギター音が流れてきて、しばらくすると後ろのほうから声が聞こえてきました。

セリフではなく詩を呟いていました。と、通路を歩いてきて、ちょうど僕の目の前の通路で止まりました。また詩をポツリポツリとつぶやいて、彼女のなかの劇世界に入っていきます。目の前にいるのに、そこには知り合いではない劇世界の人が立っていました。

と、また歩き出して、封筒と便箋が積まれている席につくと、無言で便箋を折って封筒に入れます。それを五回ほど続けると、立ち上がり、今度は僕の真後ろの席に(喫茶店ですからちょうど背中あわせになる感じに)座りました。そこで今封筒にいれた手紙を読み始めます。「お元気ですか?」という歌いだしから始まって、手紙形式の詩を語ります。その詩がまた素朴で聴きやすい。ほのかに鈍るアクセントも心地よい。

で、その読み終わった手紙は、身近にいる人に渡していく。それを繰り返します。(僕も一通もらいました。)

と、また立ち上がり、通路でまたぽつりぽつり。そして封筒詰め、読む、渡すを続け……しかしその状況がすこしづつ変化します。読んだ手紙を人に渡さなくなり、次には手紙を読むことなく、自分の席にポトリポトリと手紙を落とし始めます。やがて、(湧きあがってくるものがあったのか)目の前の通路で、またとりとめのない言葉を箇条書きのように、吐いていくと(その言葉で五月のせつないイメージが膨らむのですが)その人は、店の入口へと駆け出しました。今唱えた言葉を何度も繰り返しながら店の扉を開けると、傘をひろげて、外へ!外にはもちろん何にも知らない通行人もいます。そこへ声をあげて走っていきます。沈黙。演者に放置された店内には、演奏者のギターの音が響きわたります。二、三分弾き終ると、奏者は席を立ち、女が落した手紙を一通拾い上げると、そのまま外へ。

ついに奏者にまでも放置されて、店内は静かな余情と、微妙な不安感が。

でも観客みんなは何となくこれで終わったのだと察知できます。

それは詩の内容にもよるし、展開にもよるのだけど、女性の手紙との関係と、女性が外へと飛び出したことで、それぞれが受け取った物語はみごとに出発を迎えたからです。



しばらくすると、奏者と女性は帰ってきて、「どうもありがとうございました。」とここで初めてしゃべったような気がしました。



言葉をしゃべっていたにもかかわらず、なんだかダンスでも見ていたかのような、詩とはそうゆう不思議な世界をたちこめさせるものなのだなと新しい感覚が。単なる朗読とも違い、一人芝居という言葉がしっくりくる。そのうえ、この気さくなかたは、その「時間」が終わるとまたもとの知り合いに戻って、フレンドリーに身に来てくれた方々と楽しそうに喋っていまして……この少人数で、この雰囲気の小スペースで、この一時間ばかりの時間を(気がつけば一時間……)とても息づかせていました。その様がやっぱりすごく格好よくて、素敵でした。

とてもいいものを見させてもらいました。かけがえのない時間というのはこうゆう時に生まれるものです。



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