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交換という感覚を持つ

Jul 17

2008

ブルトンの「狂気の愛」を読み終わりました。

人によって様々な感想を抱くのでしょうが、僕の読んだ印象としては、始終「釈明」をしているようでした。ブルトンさんは「愛」について語っているようでしたが、どうもそれは「恋愛」と「欲求」の側面から描かれた燃焼タイプのもののように感じられました。

解説を読むと、奥さんがいようがいまいが、次々と恋の花を咲かせて、思い人と旅に出たり、交遊したり…

まぁそういった人間関係に緩い状態は奥さん側にも、ブルトンの友人側にもあったようで…まるで奥さんをとっかえっこするかのような…





そぅそぅ先日「ツィゴイネルワイゼン」という難解な日本映画を見たのですが、そこでも原田芳雄演じる中砂が「奥さんを取っ替えっこしようじゃないか」みたいなことを言っていました。

まぁこの映画については不可思議で難解だったのでまた後日詳しく書きたいと思います。





そぅ、ブルトンですが、その「欲求」がいかに人間において重要なものであり、自然界の超然的な力に匹敵するものであるかが解いてあった。またその欲求が人生においていかに芸術関心や芸術表現…(芸術というと空虚な感じがするのであまり使いたくないのですが…)と結びついているかが暗に書かれていたように思う。



実際、ブルトン自身、詩作活動は行っていたようではあるが、立場としては作家というよりも評論家とか批評家とか、収集家てか…まぁそういった芸術活動を支えたり広めたりする側の人間だったように感じた。感性が鋭く、様々なものを知覚し、善し悪しを見分ける感じ分ける力を獲得してはいたももの…いざそれを表現しようとすると…知覚と知識の影が深く…一見、感受性のみで書かれたようだが、実際はすべて知識て知性によって組み立てられた、悪く言うと「自分の頭で考え出した言葉に酔った」文体にも見える。

たぶんそれがシュールレアリズムとかいうやつなのかもしれないが…その集団を取り仕切っていた(?)ブルトンさんにはそんな傾向が強く見えたのが…僕は残念というか…読みにくかった…



けれどもブルトンさんがもつ頑なさやシュールレアリズム運動に捧げる情熱、さらには単なる「芸術」に片付けられるのを嫌い、革命家のように人を革命へと先導する力を持った文体、人を活動させる文体で書き続けたという、その時代に「生きた」「生命力をもち活動した」存在であり、紙面に留まらなかったということは、たまらなく好きだった。

だから決して否定できるものではない。

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