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三島事件…多少違うところもあるかもです。

Dec 17

2008

インターネットで三島事件の全貌とかいうものをちらりと見ました。



東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室にて割腹自刃。とかいておりました。



作戦は綿密に組まれていたらしいです。

三島さんは楯の会という団体を結成していまして、まあわかりやすくいうと右翼団体です。

とはいっても、現在では右翼団体とはレッテルにすぎません。高らかに軍歌を鳴らし、特攻服のようなものを着たヤクザのような方が交差点などで演説しているイメージが強いでしょうが、よく聞いてみると間違ったことは言っておりません。遠巻きでいいので聞いてみてください。(あんまり目に見えて聞くと怖いかもしれませんので。)

さて、それはさておき。



三島由紀夫は楯の会の中でもさらに信用のおける精鋭を集め、段取り等まで細かくリハーサルまでしていたらしいです。

昭和四十五年(一九七〇)十一月二十五日。今から38年前ですね。

執筆中の「豊穣の海」の四部である「天人五衰」の最終稿を書きあげた三島さんは、楯の会の特別班とともに上記の東部方面総監部の総監室まで向かいました。

東部方面総監益田兼利陸将に午前十一時に面会を申し込んでいたので、一行は到着すると直ちに総監室に通されたようです。

それから2、3分後に手筈どおりに総監を縛りあげ、入口を机や椅子でふさぎ、立てこもったらしいのです。

4つの要求を書いた手紙を扉の隙間から差しわたし、これを飲まなければ総監を殺し、自分も割腹すると脅しつけました。

しかし、幕僚たちは二度にわたり、押し入ろうとしたので、三島さんは彼らを威しつけ、刀を振り回して数人に怪我を負わせて、追い出したらしいです。

そうして、三島さんらが本気であることを感じた彼らは要求をのむことにしたのですが…その要求とは、演説を聞くために市ヶ谷駐屯地の全隊員を正午前に集合させること、午後一時十分までは何が起こっても妨害しないことにでした。あと二つは…すいません勉強不足です。



そして、時刻どおり総監室のバルコニーから現れた三島は集まった自衛官員に向かって肉声で演説を始めたらしいのです。(すでに報道陣も膨れ上がり、空にはヘリも飛んでいましたので、その声は聞き取れない部分も多々あったそうです。また、30分予定していた演説も、自衛官のあまりのふがいなさに7分程度で切り上げられ、最後には万歳三唱で終わられたらしいです。)



全文



また、戦力放棄を謳った憲法を否定し、自衛隊に対して「共に起ち、義のために死のう」と呼びかけた「檄」がバルコニーから撒かれたらしいですが…だれも駆け寄るものはなかったらしいです。…本当に誰も近寄らなかったのだか?



檄文





呼びかけも失敗に終わった三島さんらは総監室に戻り、割腹自殺に入るわけですが、これもまた壮絶です。

「憂国」という短編を三島さんは書いていらっしゃるのですが、これは、二・二六事件のときに、仲間から、家族がいるからと決起から外された(慮って知らされなかった)中尉が、自宅での割腹自殺する様がありありと描かれえているのですが……これがもう見てきたように、最後の血の一滴にいてるまで描かれているような気がします。



それを見事に再現したかのようだったらしいです。短刀を深く腹に刺し、真一文字に15センチ……。

死に損ねたときのことも考え、介錯人まで用意しておいたのです。(しかし実際、この切り方は一人で死ぬときの切り方らしいです。さすがにこれだけ深く広く割いたらば死んでしまうようです。僕には到底できません…)



当時の新聞には、その切り離された胴体と生首の写真までがのり非難を浴び

たとかどうとか…



さらにその介錯人の森田必勝さん(25)も、首をはねた後、自らも割腹し、首を落としました。





「後に残った三人の会員は、このとき涙を流していたが、総監の縄を解き、胴体と首をきちんと並べて深々と頭を垂れたのち、警官や警務隊におとなしく取り押えられた。」

と書いてありました。



こうまでして、日本の、世界の歴史に名を残した三島さんはその生涯を閉じましたが、その命をなげうってまで、日本の未来を考えそのための礎となろうと死んでいかれたのです…三島さんが何を伝えたかったのか。その思いを後世に生きている僕らは、少しでも知っていなければならない思います。



命がけで、日本のために、そして、戦後に死なれたその魂と、その純潔…

どれだけ三島さんが心の清らかで、頭脳明晰であられたかは、書かれたものを読めばわかります。



いま、こうした多くの事実は、抹消されようとしています。といいますか、無視して、なかったことのように、単なる事件としてのみ、過ぎ去っていくゴシップのようにして扱われようとしています。その方が都合のいいという方々が多いからです。売国奴です。

それではいけません。

何が国辱で、どういった辱めを日本がいままで受け続け、飲んできたか。

どれだけのかぶらなくていい罪までも、なすりつけられて、耐えてきたか。

それを目の当たりにすれば、あなたもきっと奮い上がるはずです。

この国が好きだという気持ちはだれにでもが持っています。その気持ちを誇れないように仕向けてきている何者かを察知にその正体を探ることが、われわれ日本人が生きやすくなる近道だとおもっております。



何度も言いますが、決して日本のために死ねといってるわけではありません。

もう日本では多くの方が命を落とされたからです。

これ以上の死は、もう見たくありません。

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