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クリスタル

Jul 15

2008

「選択の自由」をかかげてはいるが…それは実際に行使されているのか。



最近はテレビも見るようになってきて、当然お笑い芸人の方々もよく見ます。僕は毎回お堅いことばかり書いてますけども、お笑い芸人さんは嫌いじゃありません。



ただ…こうまで「ブーム」というものが長々続くと…笑いというものに対して緩慢になってくるのでしょうか。

笑わせてくれないと納得のいかない観客に恐怖を感じます。あまりに怠慢な態度ですよ。テレビを前にして股を広げて「さあ入れてくれ」っていってるようなものですよ。



動物だってえり好みはしますし美食家だっています。旦那選びや嫁選びは慎重ですよ。





いえ、だから、「笑わせてくれ」という態度は卑しいと言いたい。

映画に対して「泣かせてくれ」という態度は失礼だ。



勝手に笑って勝手に泣けばいい。それくらい選べなくて、自由意思とはいかがなものか…

まるで検閲にでもかけられたように自主規制を敷く必要はないんですよ…



だからね、作り手側も決してそんな売春行為に走らないでもらいたい…





こんな底の浅いことは書きたくないのだけれど…





「選ぶ」ということは、主体性を取り戻す第一歩ですからね。個人主義やら個人の尊重やらいってますが、あれは人を束ねやすくする方便で、輪ゴムみたいなもんです。くくられてますからね。



本当に個人をみたいなら、まず選ぶことですね。





今はブルトンという方の「狂気の愛」という本を読んでいます。シュールレアリストがシュールレアリズムな文体で書いているので、かなり難解です。書いてあることは、芸術論を飛び越えて、全てのものが到達すべき「愛」を獲得するための…方法みたいなことでしょうか?

僕のような小僧が説明しようとすると、薄っぺらい文字になりますが、読んでみるとそんなことはないとわかってもらえます。



芸術家とかいうものは、なりたくしてなるんではなく、そういった性質であり体質であり、そういった感覚世界と言語でしか視覚が働かない人物なのだと思います。だから芸術家とかを理解しようとか思うのは無茶なようです。あるがままにその感覚や世界を受け取る以外には感じ得ないようです。ブルトンが芸術家かどうかはわかりませんが、そういった世界を…たとえばケーキのようにナイフで切り分けて断層を示しながら導いてくれるのか、特殊なアトラクションを体感しているのに近いのかもしれない。…ちょっと良く言い過ぎたかもしれない。



ただ…前に読んだ「全ての芸術家は自分の考えたこと、知りえたことが他者とも共有できるものだと知りたい」というのは嘘っぱちだということがわかるばかり。



革命のように、先導したいように思う。



かといって「憲法9条守ろう」と先導しようとしている一部の演劇界にはなんといっていいかわからなくなる…



演劇という行為の力の使い道や使い方を誤ってるし…履き違えている…



輪ゴムは、道を外れたと思われている(例えば演劇とかやっている)人までもくくっているようで…



それでも芸術家かと悲しくなる…



十把一からげで売られる小ネギ一本であっていいわけがない…

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