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もんどり打つのと、腹のよじれること。

Mar 3

2009

筆不精。



さて、本屋に吸い込まれるようになってきました。

数年前までは漫画本にしか興味がなかったのですが、近年はえらい変わりよう。なかでも西欧文学、フランスやらイギリスやらドイツやらの文学が気に入りです。一番の出会いは『マルドロールの歌』ですね。この一冊は角膜や水晶体の曇りを磨き上げて、取り払い新しい透明感のあるものが見えてきます。内容は攻撃的で醜く汚らしいことも書いてありますが、その文体や語り口が機知を、素晴らしい言語感覚と蠢く信念とが美を物語り、芳しい香りを運んできます。決して頽廃的ではない。



続いてジャン・コクトー。山師トマ、恐るべき子供たち、大股開きと読みました。こうまでも心情にぴたっと沿うような世界を描く人は他にいないかもしれません……。特に「恐るべき子供たち」は、僕のなかでも常に持ち歩いておきたい本でもあります。世間的なものを気にせずに、部屋の中に特有の空間を築く姉弟と友人たち。愛する男の雪の玉を受けて、その日以来身体が弱り学校をやめてしまった弟と、弟の世話焼きという役を自分に与えている姉。この二人の関係と二人の住む子供部屋を軸にして、弟の友人と姉の友人が巻き込まれていき、すべてはその部屋のなかだけで世界が補完されていく……やがて、それがあふれだすと、運命の悪戯か、二人は死ななければならなくなる。その死によって、彼らの生きた軌跡は、完全なるものとなる……

……うらやましいあの部屋。



我らが誇る日本にも素晴らしい本はたくさんあります。

寺山修司、三島由紀夫、川端康成、泉鏡花……などなど読んでます。

もう日本の文学になると、勉強のような心構えで取りかかります。知らない言葉が山ほど……辞書片手に読まなければわかりません……

昨日、泉鏡花の「草迷宮」を読み終わりました。一度読んでもさっぱり読み取れなかったので、もう一度頭から読み、ようやく楽しめました。

泉鏡花は、妖怪の話をよく書くらしいです。今回も少しそうした奇談のような話で、「迷宮」の名の通り、誘われます。

母の唄った手毬唄をもう一度聞きたいという思いを胸に、葉越明という青年は、亡き母の唄を知っているかもしれない、当時一緒に遊んでいた女性を探します。しかしその女性というのが、神隠しにあっていて、今では行方知れずということ。そんなときに、その女性と思われる人を道の向こうに見かけるが、見失ってしまう。それから女性を探す旅にでるのだけれども……旅先でようやく有力な情報を掴み、人死にがあって誰も近寄らなくなってという屋敷に住み込みます。その屋敷では夜毎に心霊現象が起こり、青年を追い払おうとするのですが、青年はどうあっても出てゆきません。根負けした、あちら側の妖の類のものが女性の使いとして、縁あってそこに泊っていた旅の僧の前に姿を現します……

この後は、僕の手では書けませんし長くなります。内容だけではなく、その文体や、文字の美しさも一緒に堪能された方がよいかとおもわれます。

日本の戦前の人びとの言葉使い、特に女性が使っておられた、たおやかな言葉に、いつも魅了されます。なんて綺麗で美しいんだろうと。配慮に満ちたあの言葉、人を立て、人のためを思い話される言葉。

その言葉に出会うと、まるで、アニメでも見ているかに様に、美しい女性が脳裏に描き出されますよ。

今ではあまりに現実味がなくて、アニメのようですもの。



さて、それでは、このあたりで。

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