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うそつきについて

Apr 18

2010

 嘘つきの話を書きましたが
僕自身、嘘が下手でしょうがないです。
だから見事に嘘をついてまわる人間てのが羨ましいし、
すごく興味がわきます。
古い飲み屋街なんかには、今でもホラ吹きじいさんが表れて
隣の客にからんでは、巧みなホラ話を披露して帰っていくらしい。
飲み屋での嘘ってのがまたオツなもんで、
会話がうまい人に結構多いんですね。
騙すってのが一概に悪いもんじゃないってのは周知のことで
騙して楽しむ人もいれば、騙されたい人もいるし、騙されたフリして楽しむ人もいるわけで
そもそも嘘を奪われたら、芝居が消えてなくなるんじゃ?
まあだから、芝居のためにも嘘がうまくなりたいなと思っているところもあり……
なんてときに、ピーターグリーナウェイ監督の「ベイビー・オブ・マコン」とゆう映画を見ました。
1993年の映画なんですが、これが、まあ簡単に言うと、劇中劇の最中に人が死ぬわけです。
それも陰謀や殺人事件ではなく……なんといったらいいか……劇にのめり込みすぎて、「劇の設定上殺される」が「本当に死んでしまった」になるとゆうもの。
劇場内に観客が入ってゆくところから始まるこの映画は、観客も次第に劇にまきこまれていって、劇の参加者になり、劇を展開させていくうちに、登場人物を死へと導いてしまう……とゆうことらしいですね。
最後のカーテンコールのシーンでは、なんともなかった脇役の方々は普通に登場して観客にお辞儀をするのですが、
死んでしまった人物は、血みどろの死体のまま引きずられてきて、舞台上に置かれて幕。
やんややんやと劇後感を堪能しながら劇場をあとにしてゆく観客を映して映画は終わります。
劇の中の嘘と本当とがわけのわからなくなっていくのですが……
それをいってしまうと、映画自体が嘘ですから、死んだようにして引きずられてきた女優俳優も、実は生きているわけでして、
すべては、二重三重の大ウソなわけです。
その嘘の構造が手の込んでいるわけで。ここまでくると、嘘つきとゆうか、
もう壮大なギャグなんですね。
だから、すごくシュールで難解な映画ばかりとる監督なんですが、
志村けんさんもファンらしいです。
想像力を刺激する映像も、すべてそれが見たいから、見ると面白いから、突飛な驚きが、自分の中の何かを刺激するからで、
笑いとは突然の驚きであるといったチャップリンなんかにも、見事にならっているわけです。
だからこの嘘の質といったら、酒場にホラ話をしゃべりに来るじいさんと、案外同じだったりするのですね。
「俺むかし大関だったんだよ、相撲の。」
と語るじいさんの嘘とか本当とか、何が面白いって、騙されたほうがいいに決まってる。
僕もそんな騙されたほうがいいとおもえる嘘を増やせたら。

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